樋口淳広告事務所で、プロセスコンサルティングをしている樋口妙子です。
私のプロフィールまでお越しくださったこと、めちゃくちゃ嬉しいです。
1961年生まれの蟹座・AB型。
現在、子供2人はそれぞれに結婚して独立。孫も2人。姑との同居も30年オーバー。同業者の主人は、就職した会社の先輩で隣の机にいた人でした。
武蔵野美術大学のグラフィックデザイン科に入学後にデザインではなく広告に興味を持ち、卒業後はコピーライター(広告の文案家)として就職。
バブル真っ盛りのマス広告が一番キラキラしている時でした。
しかし、インターネットの圧倒的な普及によりマス広告は衰退し、広告業界自体が斜陽産業に転落。
「このままではまずいな」と思い、副業を考えて、当時の流行りだったブログスクールに入りブロガーデビュー。
次にブログよりもさらに収益性が高いアフィリエイトを知り、アフィリエイトスクールへ。
サイトも立ち上げアフィリエイターにもなりました。
ブログもアフィリエイトサイトも割と早い時期から収益が出ましたが、幸せは長く続きません。
Google様のアップデートや、企業がその商品の販売を中止したら、今まで苦労して作ったサイトも一瞬で水の泡!な目に遭遇。
「だったら、他人の褌で相撲を取らずに自らが起業して稼ごう!」と、起業を目指しました。
私は「副業」を卒業して「起業」をしようと決めました。
そこで、今まで経済とかビジネスなど考えたこともなかったので、とりあえず「お金」周りのことを学ぼうと考え、手始めに見つけた「お金のセミナー」に参加。
この「お金のセミナー」を主催していたのが、当時は飛ぶ鳥を落とす勢いで成長をしていたコーチングの会社でした。
私はそこの社長にライターの腕を見込まれて、スタッフに登用。
ずっとフリーランスで仕事をしていた私が、久しぶりに組織の中で働くことになりました。
ここでパワポを組んで講座を作る方法を覚え、会員さんに向けて1Dayの高額な文章教室をして講師デビュー。
また、コーチとして帝国ホテルのラウンジで、多い時で1日に3回もセッションも行うような、充実した日々を過ごしていました。
講師、さらにはコーチと言う2つの軸を見つけ、レセプションではスポットライトの当たる壇上に並び、紹介されるのが当たり前になっていました。
しかし、予想外の展開でここから一気にどん底を味わいます。
会員さんも着々と増え、定期的なセミナーやレセプションも開催されたことに気持ちが大きくなった社長が突然、引っ越しを言い出しました。
社長の引っ越し宣言から1ヶ月も経たないクリスマスの日。リバーサイドの42階の最上階。メゾネットタイプの超がつくほどゴージャスな高級マンションに強行に引っ越しを決行。
翌月からゼロの桁の違う引っ越し費用と身の丈を大きく上回る家賃の支払いに、経営が急速に悪化。次第に社内の不協和音が拡大。内紛や不倫騒動が勃発。
追い詰められた社長は、当時流行った暗号通貨の投資を会員やスタッフに勧め、さらに彼自身が行う高額なセッションを会員さんに個人的に売り込みだし・・・・
流石についていけなくなり、適応障害を理由に会社から逃亡。
代償は大きく、半年間は「いつどこで関係者さに合うかもしれない・・・」と、外出が怖くなり引きこもりました。
当時、会員さんの中で起業家として結果を出した女性がいました。
その女性から「今度、女性だけの起業家セミナーを有名な講師の方とコラボで企画するから、ぜひ参加して欲しい」と連絡が来て、セミナーに参加を決意。
これが世間一般で言う「高額セミナー」でした。
ここで起業のマインドや仕掛けを学び、セッションを再開。
セミナーの最終月のチャレンジで1ヶ月間に42万の売り上げを計上。
これで傷も癒えて再出発と思ったのも束の間。
翌月から社会情勢が急激に変化。第一波がピークに達し、対面でのセッションが限界の状態になりました。
せっかく復活しかけた火を消したくない!と、オンライン化に切り替えるために今度は「コンサル」に光を見い出しました。
自分はセッションと言うサービスを持っている。さらに何個かの講座も持っている。
足りないのはお客さんを集める力だ!
と、考えて「Facebook集客の専門家」を自称される女性に3ヶ月間のコンサルを依頼。
この時に「今までコピーライターとして書いてきた実績はWEBマーケティング(オンライン集客)では、何の実績にもなりません」とバッサリ。
さらにブログやFacebook上での投稿にもダメ出しを受け、今まで築いてきた「書く」や「伝える」と言う強みだと思っていた部分や人柄が、全て無価値に感じる強烈な体験をしました。
それでも諦めの悪い私は「ならば商品から見直そう」と、別の女性コンサルに3ヶ月のセッションを依頼。
彼女からは、自分の魅せ方やクロージングの仕方など教えてもらいました。
一緒に新しい講座を作り、話し方や進め方を教えてくれました。時には「私がした方が早いから」と、必要な画像も作ってくれました。
その甲斐もあって、Facebookで集客する形の講座が開催ができ、結果1人のクライアントさんを獲得。
コンサルとして第一歩をスタート。
この時のクライアントさんが、今も続いているFacebookライブの相方となり「コンサル期間が終了したら同じ土俵の仲間になる!」と、言う私の理想を実現しました。
しかし、今度は同居する姑の体調不良が始まり、仕事に集中できない日々が訪れました。
ちょっと成功すると、すぐにポシャる。
これの繰り返しが起こるのは「自分の中が整っていないのが原因?」と、今度は「内面を整えるのが得意です」と、謳っていた女性にコンサルサルティングを依頼。
3人のコンサルさんの3パターンのコンサルティングを体験した私です。
振り返ると、その時は「自分では埋めきれない穴」をコンサルさんに「埋めてもらおうと」していました。
だからダメだったんです。
そして、この3番目のコンサル期間中に、図らずも「2件のコンサル案件」が私に舞い込みました。
1人はランチ会で隣に座っていたオーガニックなトウモロコシを作っている方。
トウモロコシ販売をFacebookで告知・集客し、そこからECサイトに流して販売するのを手助けして欲しい。
もう1人は地元で声をかけられた、生協の食材を使ったこだわりのお弁当屋さん。
スタッフの求人からお弁当の販路拡大など諸々含めてのご相談。
今までは、フロントエンドの講座をオンラインで行い、受講後にコンサルティングを依頼される流れでしたが、今回はご縁で繋がった方々の依頼でした。
案の定、初回のコンサルティングとは全てが違いました。
「パソコンの状況が悪すぎて不具合が頻発」
「SNSの発信をしようにも時間も人員も足りていない」
「このやり方で告知・集客をしましょう!と、スタート前に決めたが、途中から勝手に方向転換し動けなくなる」
「途中からコンサルではなく原稿の依頼をされるようになる」・・・・
ゴール地点も決めたのにも関わらず遅々として進まず「これはコンサルティングではない・・・」と落ち込みました。
当時は最後のコンサルを私が受けている最中であり、そしてお弁当屋さんとトウモロコシ屋さんのコンサルがスタートしたタイミング。
コンサルティングを「受ける」にしろ「する」にしろ、今まで自分が学び、体験してきたやり方で設定した目標も達成できず、今までのコンサルティングのやり方に強い違和感を感じました。
そんな悶々とした気持ちの中、結果はどうあれ3人目のコンサルさんとの契約期間が終了し、コンサル生の立場を卒業。
程なくして、お弁当屋さんとトウモロコシ屋さんのコンサルも契約満了になり、不燃焼感が満載の痛いコンサルからも解放されました。
コンサル期間も満了となり、仕事もゼロにして、自分は何ができて、何がしたいのかを考えました。
当時ギリギリで稼働していたのは、最初のコンサル生だった女性との月に1回のFacebookライブのみ。
この配信をたまたま最初に入ったブログスクールの同期だった女性が見ていて、翌月にはゲストで出演することが決定。
そんな彼女と意気投合して、半年後には彼女が温めていた「学べるコミュニティ」の立ち上げに参加。
彼女が集めたメンバーに「マーケティングの基礎」「SEOブログ」や「ビジネスの土台」の講座をしたところ、大好評。
「自分なんて価値がない」
「私の講座は通用しない」
「コンサルやコーチとしての自分の需要はもうない」などのマイナスイメージの沼で溺れていた私を引き上げてくれました。
私は私を受け入れてくれたことや、自分がまだ必要とされていることに救われ、「もう1人じゃないんだ」と感じ、「人と繋がることの怖さ」を乗り越えることができました。
自力だけではもう頑張りきれなくなった私に「他力」のありがたさ、素晴らしさを実感させくれたのがこの学べるコミュニティの存在でした。
コピーライター出身の私は「言葉の力」を信じているし、紆余曲折あったけれども、それでも前に進みたい自分を諦めきれなかったことで「人の可能性」は必ずあると確信。
■自分が持っている才能や熱い想いを形にする方法が分からず、内側でふつふつとしている声を見つけて欲しい方。
■自分では気がついていないけれど、自分が出せていないことや表現の仕方が分からなくて、その方法を求めている方。
このような方の頭の中や心の中を整えて、見失った本来の強みや自信を見つけ、軌道に乗せるサポートがしたいと、考えていました。
自分のサポートしたいことをコミュニティの仲間に何気なく話したところ「樋口さんは話を聞いてくれて、見つけてくれて、一緒に考えてくれるから良いよね」と。
「イメージとしては、マラソンなんかで一緒に走ってくれてる人」だと。
そこから「マラソン 一緒に走る人」で検索し「伴走」と、言うワードと遭遇。
だったら「伴走 コンサルタント」で、何か出るかな?と「伴走」と打ち込んでみたら、サジェストのところに「伴走型支援」なる、見たこともない並びの単語が目に入りました。
ちょっとした興味から「伴走型支援」をクリック。運命の出会いが再びありました。
サイトは経済産業省 関東経済産業局。
ここに「伴走型支援」の説明文があり、この中に「プロセスコンサルティング」の考え方が解説されていました。
(後から知ったことですが「伴走 コンサルティング」で検索するとたくさん出てきました)
副業ではなく「起業」を目指し、コーチングやビジネスの仕組みを学び、オンラインでの集客法も学びましたが、その度に上がっては落ち、上がっては落ちを繰り返し。
それでもなお起業を諦められなかったのは、それはきっと「雇われる仕事」の限界を感じていたから。
簡単ではないけれど、でも「自分らしさを出して、自分でビジネスを作ることはできる」を体感したことも大きかったです。
何が大切で、価値を感じ、守りたいのか。
その基準をしっかり持ち、そこから自分らしさや信念を見つけ、お客さまを選定して商品を作る。
ビジネスを成功させて長く続けたいのなら、この順番を守ることが本当に重要だし、何より土台を先に作り整えることがポイントです。
それに気づかなかった人やスルーした多くは(過去の自分含む)ノウハウや最新の情報集めに走ります。
感じている人は感じていますが、情報は以前のような価値(力)は無くなっています。
今は物も情報も溢れかえっており、むしろ整理のつかないの状況です。
クライアントさんが求めているのは、実は最新の情報やノウハウではありません。専門的で最新の情報でも、受け取った方が持て余して、使いこなせなければ意味がないからです。
欲しい答えは、目の前のクライアントさんの中にあります。
だから、私はその人の話しに耳を傾け、言葉を探します。
結局、上からトップダウンの形で与えられたノウハウや情報が納得できなければ行動にも移せないので設定した結果は出ません。
これも痛いコンサル時代に学びました。
人は可能性が必ずあります。
故に勝ち筋だってどこかに埋もれています。それを諦めずに一緒に探すだけです。
「月に〇〇万円を稼ぎたい!」ではなく、起業することでどう社会や人(顧客)と関わって行きたいのか?
どんな想いで起業し、商品やサービスにそのメッセージを込めるのか?
この部分が抜けている起業は砂地に直接、家を建てる行為と同じです。
だから私は起業の土台部分(コンセプト)を作ることを重要視し、そしてそれを実現するための基本的なマーケティングの手法を教えることで、顧客や自分や商品の立ち位置を明確に整理できるようにしてます。
人が自分の可能性を活かし、幾つになっても、環境や状況に左右されず社会と関わり、そして経済を回す。
お互いを必要な存在として認め合う、豊かな世界を築きたいと思い起業のサポートをしています。
起業は「あり方が9割」と近頃では言われています。
何故なら「やり方」は、社会情勢の変化やインターネットの発達で、流行り廃りのスピードがとても早く、その時に良いと思えた方法も翌月には使えなくなる事があるからです。
ですので、その時々でその方に合った方法をそこで探すのがベストです。
(必要ならばその都度、それらに精通している専門家をその方と繋いでいます。)
先ほどから起業を成功させ継続させるには「土台を作り整えることが大事」と、繰り返し言っていますので、“私”を例にして説明してみます。
私の人生のコンセプトは「自分らしい状態で幸せになる」です。
ですので、私の仕事に対する基本のスタンスは「自分らしい状態で幸せになる仕事をする」です。
と、言うわけで私の仕事の土台(コンセプト)は「仕事を通して私もお客様も共に自分らしく幸せになる」です。
さらに、そこから導き出した「私のお客さま」の現状は「自分らしい状態で、お客様も自分も幸せになる起業をしようとして、どこかでつまずいて困っている方」です。
どんな人でも才能は持っています。そして語る言葉や想いも持っています。
上から授けるように指示するやり方ではなく、その人の中から答えを見つけた幸せな起業家が増えれば、きっと世の中はもっと優しく豊かになるはずです。
起業(ビジネス)は、相手(お客様)や社会に対して「私はこんなことを思っています」「こんな風にお客様のために商品・サービスを作り、提供しています」など、自分の中の声を具体的に表現(発信)していくことです。
起業をきっかけに、自己の発信(表現)をして、必要な人にそれを届け、より良い関係を築ければ、お互いを認め合える愛のあるビジネスの大きな循環が生まれたら、本当に面白いと思います。
その実現に向けて私は自分の講座やプロセスコンサルと言う仕事が一助になれば最高に嬉しいと思っています。
あなたの幸せな起業を心から応援しています。
とんでもなく長い自己紹介をここまでお読みくださり言葉にならないほど感謝しています。
ありがとうございました。